チェンジ・ザ・ルール

大阪の外れ馬券課税事件の地裁判決は、事業投資であれば外れ馬券を経費として認め雑所得扱いとするという画期的な判決となった。高裁でも検察の控訴は棄却されており、ほぼ情勢は固まったと見える。判決文は、なかなか苦しい説明となっているものの、被告が得た利益以上の課税となる現制度(具体的には所得税基本通達34−1)は、要見直しと言ったところであろう。

「一時所得は的中馬券の金額しか控除しない」

このルールは強烈であった。競馬で大儲けしようとか、競馬を投資のように行おうとか、そう考える人はたくさんいる。そのときに「税金」が頭をよぎらない奴なんていない。正当に働いていても税金を取られるのだから、不労所得にはもっと厳しいことくらい成人なら常識である。

こんな強烈なルールの背景には、おそらく馬券収入で食おうとする人間を否定する社会的通念ある。ちなみに私がこれを理解したのは、25歳くらいだったと思う。自分の予想に自信が出てきた年頃で、「俺、馬券で大儲けできるんじゃない?」とか思い、税金の仕組みなどを調べて愕然とする。

平成24年6月には、国税不服審判所に判断事例が出ている。今回とほぼ同様のことである。このくだりを一部引用する。

JRAが開催する競馬においては、馬券を購入する行為とその競走の結果(着順)との間に相関関係がないことは明らかであり、購入した馬券及び競走結果については、他の競走に影響を与えることのない独立事象であるから、馬券の購入金額よりも大きい払戻金を受け取れるか否かは飽くまで臨時的、不規則的なものであって、払戻金については、所得の基礎に源泉性を認めるに足るだけの継続性、恒常性を有しているとはいえない。」

競馬は、サイコロなげやルーレットとも違うし、あるいは外国為替や株価インデックスとも違う。競走一つ一つが独立事象なので、仮に全レース購入したとしても継続性がない、すなわち臨時的であるから税制的には一時所得になるのだというのが国税の判断なのである。

単純に言えば、繰り返し買うと税制的に不利になる。これを今回の判決は条件付で覆したといえるが、その根拠はひどくあいまいである。「このように買えばよい」という指針は示されていない。今回のように利益をはるかに越えるような課税がなされたときにのみ、救済策として今回の苦しいロジックの判決が使われるのみであり、いまだルールは変わってはいないのだ。

はずれ馬券は経費と認められないので、はずれ馬券を減らす必要があると思われる。

(1)レース数は極力まで絞る
 このレースは絶対に当てられると思うレースに、資金を集中すべきである。
 2万円を50週につかうより、100万円を1レースにつかった方がよい。

(2)多点数買いは避ける
 同じ回収率、同じ利益額ならば、1点で的中させれば全額控除でき有利である。

つまり、税制的には「有馬記念馬連1番人気オッズ5倍に100万円勝負!」みたいなことが推奨される。

どれくらいの差が出てくるのか、この場合の税金を試算しておこう

(配当金) - (的中馬券額面) - (特別控除) = (一時所得)
5,000,000 - 1,000,000 - 500,000 = 3,500,000

給与収入が500万円の場合、給与所得346万円で、所得税額26万円となる。
これに一時所得が加わると、総所得696万円となり、所得税額96万円となる。
 競馬で400万円儲けたが、税金は約70万円増える。

なお所得税累進課税なので、給与収入が多ければ税率も上がる。少なくとも「利益が出たときに、払える程度の額」にしておくことが重要である。

別の例として、年間通じて多数のレースで大穴狙い、1レースだけ100円券が500万円になったとしよう。
(配当金) - (的中馬券額面) - (特別控除) = (一時所得)
5,000,000 - 100 - 500,000 = 4,499,900
 計算は省略するが、
 競馬で400万円儲けたが、税金は93万円増える。

買い方の違いによる極端な例の差を見ても、税金も含めた最終的な収支をみれば「馬連が5.0倍と思って購入したが確定オッズは4.8倍だった」程度の差となっている。ある程度の回収率(この場合は100万円→500万円)があれば、買い方の差はあまり考慮しなくてよいのである。

問題なのは、同じ400万円の利益であっても、回収率が著しく低い方法である。
1億円→1億400万円(回収率104%)
こういう投資こそ、現状の税制では「鬼門」になり、暗黙のうちに禁じていたのではなかったか。

回収率固定法は、予想がオッズや欲によってブレることを防いでくれる点で圧倒的に優れている。
しかし課題としては、利益を得るには投資資金が大きくなること、その結果税金の問題が出てしまうことである。

年間、たいしたことのない金額を稼ぐ程度の目標であれば、回収率固定法による多点数買いが最もよい方法かもしれない。そして、ほとんどの競馬ファンは、たいしたことのない金額を稼げればいいのではないか。

しかし困ったことに現制度では、「たいしたことのない金額」、年間50万円の利益であったとしても、その過程によっては多額の課税がなされてしまうのである。

たとえば年間500万円負けていて最後の有馬記念WIN5で100円が550万円に化けたとする。
(配当金) - (的中馬券額面) - (特別控除) = (一時所得)
5,500,000 - 100 - 500,000 = 4,999,900
つまり、50万円の利益しかないのに、約500万円の一時所得となり、税額は130万円(給与500万円の人)は、利益を税金が上回ってしまう。

これは明らかな制度欠陥とも思えるが、社会通念的に言えば、負けを取り返そうとしてトツボにハマって破滅する人を減らすための優れた制度とも思えるのである。500万円の負けを取り戻すには、600万円以上の配当が必要なのだ。

では逆に、一番最初の金杯で100円が550万円に化けたとしよう。このときはまず「税金を払う準備」から始めなければならない。税金を払うだけのお金(たとえば100万円)を取り置いておいて、残りを競馬に突っ込んでいきたいならそうすればよいのだ。

現在カジノ合法化に対しても、各所から大きな懸念が示されている。ギャンブルは所詮ギャンブルであり、社会通念を覆すことはできないのだ。全国の馬券ファンは、今回の判決に過剰な期待をしてはいけない。ワクワクして大儲けしてやろうなどとは思わないことだ。

社会は変わらない。変えられるのは自分を縛るルールだ。

一生のたからもの

私が初めて有馬記念の馬券を買ったのは、トウカイテイオーが勝った1994年だったと思う。1年間の休み明けで長距離G1、しかも有馬記念。競馬初心者の私は速攻でトウカイテイオーを消した。

当時の中山2500mのレコードは1991年ダイユウサクの2.30.6で、これは2003年のシンボリクリスエス2.30.5まで14年間も続いたレコードだった。トウカイテイオーの勝時計は2.30.9(中央値差+1.2)とハイペースと言える。そんなタフなレースで、休み明けの馬が勝った。

さて、私たちが休み明けを嫌うのは、やはり平均的に休み明けの成績が悪いからだ。しかし調教はけっこう良いことが多く、パドックでも体はできている。休み明けの凡走の原因は、精神面にあるのではないかと考えるのが自然だ。久しぶりなので闘争心あるいは落ち着きを欠いてしまうのではないか。

かつて休み明けで走ると評判になったのが藤沢厩舎であり、調教・追い切りは、コースの3頭併せ馬を馬なりで行っていた。馬なりで落ち着かせているようにも思えるし、3頭併せで闘争心を育てようとしているようにも思える。休み明けで気を付けるべきなのは、肉体面よりは精神面なのではないか。

一流馬は消耗品であり、多くのレースに出すことはできない。そんな一流馬を「休み明けはたたき台」というのはナンセンスである。有馬記念で勝負するスタイルの私は、休み明けで走るかどうかを見極めなければならない。

まだ印象の域を脱しないが、次のような見解である。
(1)闘争心のある馬は、休み明けを問題にしない
(2)気性難の馬は、休み明けは苦手(いつも以上に悪い所が出る)

闘争心と気性難は紙一重のところがあるので判断が難しいが、騎手と馬の相互理解が問われるように思う。たとえば、騎手が抑えようと手綱を引いて馬が首を上げるシーンがある。これは一概に気性難とは言えない。馬は「何ひっぱってんだよこのヤネは、俺は勝ちたいんだよっ!」なんて思っているかもしれない。

馬にも人間と同様に意志がある。その意志の中にはポジティブなもの(がんばるぞ、走るぞ、勝つぞ)もあれば、ネガティブなもの(走りたくない、振り落してやる、怖いよ怖いよわけわかんないよ〜)もある。騎手の仕事とは、ポジティブな面を邪魔せずに、ネガティブな意志を抑えることだ。

トウカイテイオー産駒は気性が悪く種牡馬としては大成しなかった。闘争心と気性難の紙一重を見切れると予想の精度は格段と向上するが、それよりも「好きになった馬」の馬券を取れることの方がずっと価値がある。トウカイテイオー有馬記念は、何度リプレイを見たって完璧なレースで、「奇跡」「感動」「芸術」そんな言葉がふさわしい。1994年の有馬記念トウカイテイオーを信じた人の馬券は、お金では買えない一生のたからものだと思うのだ。

回収率固定法

手堅い馬券を繰り返し購入して億単位の好成績を収めた事例が登場。残念ながら脱税で起訴されているようだ。

競馬の勝馬投票券に対する配当に高額な課税がなされている件についての担当弁護士からのご説明

正直なところ、すごいの一言である。脱税は見習ってはいけないが、ギャンブルに対する洞察がある人だと思う。

一つのレースで大儲けしようというアプローチよりも、多くのレースに賭けて大儲けしようとすることには優れた点がある。

それは、「予想と馬券を分離できること」である。すなわち「純粋に予想から」馬券を組み立てることができる点である。多くのレースに参加するため馬券の組立をいちいち考えていられない。この会社員も自動購入ソフトによりPAT購入していたので、買い目はプログラムにより自動的に作られていたと思われる。予想においては、単なる機械的な予想では回収率は100%を超えないので、人間の判断を加味して平均的な回収率を上昇させていたと思われる。レース選択においては、障害や新馬戦を除いて全場・全レースに参加していたようなので、オッズ解析ではなく新馬戦では予想できない予想要素を用いていたと思われる。

人間は予想する際にどうしてもオッズを意識してしまい、感情のコントロールができない状態に陥る。これを修行や努力によって乗り越えるよりも、「どのように予想しようが、自分の馬券の回収率は一定にする」というアプローチの方が正解だと思う。たとえば私たちは、1人気に△印をうとうか、それとも消そうかで迷うだろう。そして印を打てば1万→2万、消せば1万→10万、というような馬券の選択となり、予想の判断よりも欲望との戦いとなることが、無意識のうちに行われている。これを回収率固定法にすれば、1人気の評価を下げても上げても同じ1万→1.2万、というような馬券が作られる(そして馬券を買わないという選択肢は存在しない)。このような方法は、欲望のコントロールによる予想のブレを防ぐという意味で、圧倒的に優れている。

予想がブレなければ、回数を重ねるごとに修正できて、精度が上がっていきやすい。たいていの場合、競馬ソフトの方が回収率が良いのだが、それは人間が欲望によりブレまくっているからだ。

馬の評価は◎○などのアナログな印でやってもよいが、馬券を組み立てるうえでは指数化されている方がよい。たとえば私の場合は「着差」で示すことになっており、この指数により買い目が自動的に決まっていくことが望ましい。予想の精度を追究する者にとって、オッズによって予想がブレない環境は理想的である。一生懸命1レースの予想に取り組んでいる人よりも、ほぼ全レースに自動購入ソフトで馬券を購入する人の方が「純粋に予想から馬券を買っている」という事実は興味深い。1レースの予想に集中すれば、予想に費やす時間が増えて予想の精度は向上するが、一方でオッズによる影響を受けやすくブレやすい。

冒頭の事案において、もし本来支払うべき税金分をきちんと取り置いていたら、プラスになったのだろうか。平成17年〜21年の5年間で、回収率は101〜115%であった。一時所得の特別控除の50万円が誤差にしかならないような多額の配当額がある場合、125%以上の回収率を出さなければ手元に残らない(税率40%の場合)。つまり、申告していればマイナスになるくらいの成績しか収めていなかったと考えるのが妥当だろう。

本来、多くのレースだろうが1つのレースだろうが、きちんと税金を支払うならば、どちらでも税額は一緒である(問題になるのは配当額の年間合計だけだ)。今回の事件で、「実際の手元に残ったお金より課税額が大きく、担税力を超えている」というのは間違っていて、「本来、納税すべきお金を、勝手に馬券に変えて負けた」というのが正しい解釈であろう。この事案は一見すると大勝ちしていたように見えるが、もしきちんと税金を支払っていたなら、むしろ大負けしているのである。

さて、1レースで100万円→120万円を達成するなら、配当額に対して収める税金は、(税率を便宜的に40%、当該馬券の購入金額は控除しないとして)(120万円-50万円)*0.5*0.4=14万円となり、税込で106%のプラスを計上できることになる。

これをたとえば10レースを事前に選択し、1レースあたり10万円(計100万円)を投資する。各レースにおける固定回収率を120%に設定すれば、同じような収支・同じような税額となる。1レースに限定するよりはブレないで落ち着いた予想をすることができるはずである。

さて、10レース中いくつかのレースで外れると回収率は当然下がる。回収率を120%に設定した場合、10レース中2レースを外すと回収率は96%となり損失を出す。法によれば、負けているのに配当額が約96万円あるので、これに税金 (96万-50万)*0.5*0.4=9.2万円まで払わされるということになる。

固定回収率はどれくらいが適当であるか。年間投資額を100万円とすれば、次のように試算できる。

回収率 元手 配当 税額 手取り 損益分岐の的中率
120% 100 120 14 6 10/12=0.83
150% 100 150 20 30 10/15=0.66
180% 100 180 26 54 10/18=0.55
200% 100 200 30 70 10/20=0.50

経験的には150〜180%あたりがよさそうに思えるがどうだろう。

以前に書いた記事(金額配分方法が予想に与える影響)で馬券の買い方はいろいろあり、それが欲望のコントロールや予想への影響に差が出ることを説明した。回収率固定法は、同額払い戻し法をさらに影響を受けづらくしたものといえる。

  1. 均等買い法 = どの買い目も均等に買う。(→人気馬を消したくなる。人気薄を買いたくなる。)
  2. 同額払い戻し法 = どの買い目がきても同じ配当が得られるように買う。(→影響は均等買い法より小さいものの、得られる配当の差はどうしても意識してしまう。)
  3. 回収率固定法 = 同額払い戻し法で、一定の回収率に達するまで馬の評価に従い買い目を増やす。(→人気馬を買おうが消そうが得られる配当額は同じ。馬の評価において、定量的な評価がないと買い目を作りづらい。)

久しぶりにTargetを使っていろいろ試してみたくなってきた。いずれまた考えてみたい。

なお、以前の記事(重賞式と「納税」)で「馬券収入は雑所得」と書いていましたが、正しくは一時所得でした。一時所得については、収入から特別控除50万円があり、さらにその1/2が所得となります。次のように訂正です。

(正)
宝くじ系は、配当金は非課税だが控除率が高く、100円買うと50円程度しか戻らないという感じです。公営ギャンブルの配当金は課税対象(一時所得)で、年収500万円程度で30%、年収1000万円程度で43%程度が税率となる。100円買うと75円配当があり、さらに 75円の1/2に最大43%の税金がかかるので、75*(1-0.5*0.57)=53.625円にまで減ります。ただ、「必要経費」として当該馬券の購入金額は控除されます。当該馬券とは国税局の見解によれば「的中した馬券そのもの」であり、「的中したレースの馬券総額」でもなく、ましてや「年間の購入馬券総額」ではありません。

いずれにしても、「競馬は宝くじと比べてさほど有利ではない」という結論は変わりません。

レースを選択する脳

競馬については、あらゆる要素がすでに研究されつくしていると思われる。このような場合は、それぞれの要素が独立したパラメータではなく、関連したパラメータであると考えることが必要だ。そうすると、いくつかのパラメータの組み合わせによって、これまでには見えてこなかった「もやっとしたかたまり」が見えてくる。これが私たち人間が得意とする「直感」である。

私たちはむしろ競馬は直感の方があたることを経験的に知っている。もちろんその直感は、ある程度競馬の経験を積んでから得られるもので、素人のカンとは違う。直感を得られる人間の脳とは一体何なのか。これを考えてみよう。

人間の脳は、複雑な記憶機能を持っている。かつての人工知能の研究では、この記憶機能を単純なデータベースシステムとして考えてきて、行き止まりにぶち当たった。どうも人間の脳は「覚える」という点ではコンピュータに遠く及ばないが、「思い出す」という点では、コンピュータをはるかに凌駕する能力を持っているのだ。

私たちは、まったく無意識なうちに、ちょっとした変化に気づくことができる。明日の朝起きて、部屋のカーテンの色が違っていたら私たちは間違いなく気づく。しかし、私たちは毎朝「カーテンの色をチェックしよう」などとは思っていない。同じことをコンピュータがやろうとしたら、意識的にチェックするプログラムを動かすしかない。そうなればカーテンの色だけではなく、さまざまな(無限の)チェックルーチンが必要になり、コンピュータは朝起きてから何もできなくなる。これは人工知能の世界では「フレーム問題」といわれている。カーテンの色なんて気づかなくてもいいなら、無視するというアプローチを取ることもできるが、それでは人間の知能とは別物になってしまう。

自分の部屋でなく、友人の部屋やホテルだったなら、気づかない可能性がぐっと増える。人間は覚える能力は低いものの、一度覚えるといつでも思い出せる。人間の脳にはとても強力な「パターンを認識するメカニズム」が組み込まれている。せっかくの人間の脳のメカニズムも、覚えなければ思い出せないのだから、勉強・教養が大事なのはいうまでもない。そして記憶を体に刻めば、10年ぶりに自転車にも乗れるし、20年ぶりに将棋を打つこともできるのだ。

たとえば将棋にはパターン(定石)がある。局面ごとに直感が働くというのが羽生の本にあったと思う。これが名人のレベルだ。一つ一つ読んでいるわけではないし、仮にそうなら絶対にコンピュータには勝てない。直感がパターン認識であるということは、直感とは確率的であるということだ。0か100かではなく、70対30とか、60対40という判断である。しかし人間の脳がどのように確率を処理しているかは謎のままだ。ニューラルネットワークベイジアンネットワークなどのモデルがあるのだが、これらのモデルで実装されたコンピュータ将棋は、脳のような速度で直感を得られないので、プロ棋士には遠く及ばない。これだけ技術が進歩しても、自然言語を翻訳する機械が実用化しないように、コンピュータはパターン認識が基本的に苦手である。むしろ、人間の脳が得意すぎるというべきかもしれないが。

さて、競馬のように将来を予想する場合、脳とコンピュータ、どちらがより重要だろうか。脳は超高速にパターンを認識するが、しばしば不正確である。コンピュータは正確であるが、パターンの認識は非常に時間がかかる苦手な領域である。あくまで不確実性の中での予想になるので、コンピュータの正確さはあまり役に立たない。では、パターン認識がどのように競馬の予想に役立つのだろうか。

例えば私は有馬記念を得意としているが、特定のレースにはパターンがある。私がパターンを確立していると思っているレースは、高松宮記念函館記念有馬記念の3レースである。この3レースについてなら、他のレースとは全く違う次元での予想をすることができる。この3レースには共通点がある。レースの勝ち方を知っている騎手がいるということだ。

私たちは、馬の状態(Condition)、走力(Running Ability)、適性(Specialty)についてはレース等の映像を通じて、悪くない精度で予想できている。私もたまに「完璧に能力を把握できた」ということはある。しかしいつも自信が持てない要素は「成長」と「作戦」である。このうち成長は、古馬戦ならあまり影響を受けないので、作戦さえ見えれば勝利はぐっと近づく。

最近の例でいえば、2009年に高松宮記念を勝ったローレルゲレイロと藤田の例を挙げよう。このコースで逃げ馬に乗った騎手はたくさんいるが、半分以上の騎手はこのG1で逃げ馬をどう乗るべきかわかっていない。藤田のラップは33.1-34.9 (1.08.0)と超前傾である。これくらい前傾にしなければ逃げ馬は好走できない。なぜ藤田は勝ち方を知っているのか。やはり同じレースを経験しなければわからない。藤田はマサラッキという8人気の馬で高松宮記念を勝っている。このときはスピードでは劣るマサラッキが、ペースが緩んだことで瞬発力を発揮している。

2008年の有馬記念は、ダイワスカーレット安藤がラスト1000mでスパートして逃げ切った。安藤はその前の年までは、ダイワスカーレットの適性を十分に理解していながら、このコースの勝ち方をわかっていなかった。だが相当悔しかったのだろう。すぐに学習し、2008年に同じ馬で迷うことなくリベンジを果たした。これも同様に、緩めれば人気薄が台頭するコースなのだ。そして、強い馬が緩めずに強い勝ち方をしたならば、追い込み馬が台頭しやすいのは言うまでもないだろう。

追い込みが届くようには思えないコースなのが函館2000mだ。ハンデ戦であるため難解ではあるが、このレースのペースはスタートしてから1角までの各馬の位置取りが超重要であり、ハンデ戦だからこそポジション争いは激しくなることが多い。ハイペースのまま緩むことなくレースが展開した場合、馬に求められる適性はきついコーナーをスピードを落とさず脚に負担をかけずに回ることであり、序盤は抑えて向こう正面から大外をぶんまわすような騎乗が正解であるが、正解を選択できる騎手は非常に少ない。

私たちはたくさんのレースを予想し、たくさんのレース結果を知っている。たくさんのデータが脳に刻み込まれている。「このレース、この馬が勝つんじゃないか」という直感を知識によって補強して「このレース、この馬に乗ってる騎手がこんな風に騎乗して勝つんじゃないか」というレベルにまで高めると、予想はどんどん高度になっていく。

「この騎手は、ほんとうにこんな風に騎乗してくれるだろうか」

この仮説を持てば、今までとはレースの見方がずっと変わってくる。そして、騎手だけでなく、馬にも意志がある。

「この馬は、この騎手のいうことを聞いてくれるだろうか」
「この馬は、この騎手に闘志を伝えて、思い切った乗り方をさせてくれるだろうか」

馬の状態に敏感で作戦を変える騎手はたくさんいる。とくに上手な騎手はそういう傾向にある。だから予想は混迷を極め、騎手の動向は予想を厳密にしたい人間にとってノイズであり、常に批判の対象となってしまう。しかし冷静に考えれば、古馬G1のような成長要素が少ないレースについては、作戦さえわかれば相当高い精度の予想が可能である。ならば「これは作戦がわかるレースだ」と発見することが重要なのではなかろうか。

部屋のカーテンが変わっていることに気づくように、賭けるべきレースに気づくこと。レース選択にこそ、直感を働かせなければならない。

スローペースをつくった人びと

スローペースにはどんな効果があるだろうか。いくつか列挙してみる。

(1)タイムアタックにさせない
強い馬は、全力でタイムアタックをすれば1秒くらい後続を千切ってもおかしくない実力を持っている。なのでタイムアタックにさせなければ、少しは勝機も出るだろう。

(2)馬群をごちゃつかせる
ハイペースで縦長の展開になれば、進路のロスはないに等しい。スローペースになると馬群が接近し、馬同士の接触も多くなりトラブルも増えることも強い馬にとっては不利なため、外を周回することが多く、距離ロスを強いられる。

(3)先頭に立たせる
馬は先頭に立つと闘争心を失って失速する傾向がある。なので、逃げても楽勝という馬であっても、「差し」「追い込み」の作戦を取ろうとする。強い逃げ馬というのは、スピードと闘争心がずば抜けて高いが、気性難と紙一重であり、逃げ馬で強いと思われている馬も、実は騎手からすれば暴走寸前ということも多い。

(4)バテて負けると精神的ショックが大きい
同じ敗戦にしても余力があって負けるのと、全精力を使い果たして負けるのであれば、馬の今後を考えると前者が望ましい。

また、レース自体もスローペースの方が迫力があり、ギャンブル性も高い。強い馬がハイペースの中、5馬身、6馬身と千切ってしまうレースは「最初から分かっている強さの再確認」でしかない。競走であり興業でもあることから、横一線の接戦であることが求められる。

実力1位の馬を負かし得る実力2位の馬がいるとする。2位の馬は普通に走れば1位になれないから、「1位の馬を倒すための作戦」を実行しようとする。すなわち、2位の馬は、スローペースに持ち込むことで、1位の馬との差を相対的に縮めることができるが、3位以下の馬との差も縮んでしまうので、着外に沈むリスクも負わなければならない。

2011有馬記念は超スローペースになった。有馬記念の優勝賞金は2億円とデカい。2着でも8000万円とデカい。みんなが負かそうとしたのは3冠馬オルフェーヴルと名牝ブエナビスタ。誰もが出し抜かないでペースを守った。結果、オルフェーヴルに勝たれたものの、ブエナビスタを見事に馬群に沈め、3冠馬にも冷や汗をかかせることに成功した。

スローペースを「無気力だ」と言う人もいるようだが、私は違うと思う。競走とは必ずしも好タイムで走破することは求められておらず、相対的に1センチでも前に出てゴールを駆け抜ければよいのだ。相対的な勝利を追求すれば、スローペースは有力な選択肢になりえる。馬主と調教師は、同じ馬を何度もレースに出して賞金を稼ぐことが仕事であるから、どちらかと言えばタイムアタックによる消耗する勝利を好まず、着差は小さくとも負担の少ない相対的な勝利を志向している。また騎手にしても、絶対的な勝利を目指せば馬の能力に依存することになり、極端な話、誰が乗っても同じとなれば、騎手という職業の自己否定になってしまう。

ところで、馬券を買う側からすると、スローペースは着差が僅差になるレースであるから、馬券は当然ながら当てづらい。しかし、実力とは異なる結果になることが多いので高配当が期待できる。なので馬券ファンの立場からはスローペースもハイペースも一長一短ということになる。しかし、騎手も調教師も馬主も、興行主であるJRAも、どちらかといえばスローペースを志向している。

公営ギャンブルである競馬、競輪、競艇すべてに共通するのが、絶対的な能力だけでは勝てないようなレースのシステムである。競輪は誘導員がいてラインを組む。競艇も周回数が少ないのでスタート次第では能力の低い艇にもチャンスがある。競馬は「グレード制と賞金体系」「馬の性格・気性」がシステムの一部となり、絶対的なタイムアタックではなく横一線になろうとする力が働いている。

スローペースのレースの予想はかなり繊細である。スタートは上手か、位置取りが内か外か、前にいる馬がバテるか伸びるか、馬の間を割れるか、出足(トップスピード到達時間)、コーナーワークは上手か、競り合って強い闘争心を持っているか。ワンメソッドでは解けないため、競馬予想の知的ゲームとしてのおもしろさは、むしろスローペースにあると言えるほどだ。

競走の本質はタイムアタックであるが、ギャンブルの本質は偶然にある。馬券師や予想家よりも、JRA・馬主・調教師・騎手たちの方がギャンブルの本質にしたがって行動しているのは興味深い。だからこそ、スローペースにならないレースで的中することは、とても重要なのだ。スローペースのレースでの的中は、興行主たちの手のひらで偶然に身を任せてたまたま当たったに過ぎない。

ハイペースを作り出すのは人ではなくて馬だ。馬の状態を知り、馬の気性を知れば、百戦して危うからず。展開予想はこの一言に尽きると私は確信している。

WIN5はつまらない

WIN5は払戻金の上限が2億円である。的中票数が少ないとき(いないとき)には、キャリーオーバーが発生する。キャリーオーバーによる余剰金は次の開催に持ち越され、払い戻し金に上乗せされる。

キャリーオーバーが発生しているときのWIN5は有利そうに思えるが、そもそもWIN5とはどんな馬券なのか。キャリーオーバー中は無条件で有利とまで言えるのだろうか。

そもそもWIN5は、「払い戻し金の上限は100円に対して2億円」という制限付きの馬券である。(指定重勝勝馬投票法のみの制限)
キャリーオーバーが発生するのは、次の2通り。
(a)的中票数がゼロ
(b)的中票数が少なく、払い戻し金上限の2億円の制限により、上限を超えた分の余剰が出る

10億円の売上で(a)のキャリーオーバーが発生すれば、約25%控除(正確には0.738)された約7.5億円が次開催に加算される。
次開催も10億円売上なら、7.5+7.5=15億円が払い戻し資金となるから、もし的中したなら通常の2倍の配当が得られることになる。単発で考えたときの期待値が150%ということになる。ただ、キャリーオーバー発生中は売上も増えることが多い。売上が10倍の100億円になったとすれば、払い戻し資金は75億円+7.5億円=82.5億円で、期待値は82.5%となる。売上が2.8倍に達しなければ、期待値100%を超えることになる。売上がいくらになろうと、いつもよりも期待値的には有利であることは間違いない。

だが、私は「期待値的には有利である」ことは競馬ではあまり重要ではないと考えているので、キャリーオーバー中であっても、WIN5を買おうとは思わない。

キャリーオーバーなんてたまにしか発生しないので、十分な試行回数を確保することは困難だ。この時点で期待値というのはあまり意味がない。

期待値的な恩恵は、的中しなければ恩恵は受けられないので、馬券購入者はみな「当てに行く」ことになるだろう。WIN5を「当てに行く」のは著しく困難である。WIN5の組み合わせは最大188万9,568通り。3連単の4896通りと比べて、385倍も当たりづらい。たとえば、3連単を当てようとすれば、順当なレースなら経験的には6点くらいで的中できる。WIN5であれば、6*385=2310点くらい買えば狙って当たる可能性は十分にある。231,000円の投資を1日でできる人はほとんどいないが、キャリーオーバーの日に限ればできないことはない。まず、キャリーオーバー時の戦略として考えられるのは、この「たくさん買う戦略」であろう。

しかし、競馬のようなパリミーチュエル方式でオッズの決まるゲームでは、同じような買い方をすると著しく不利で、キャリーオーバーのメリットなんて吹き飛んでしまいかねない。たくさん買う戦略を実行するには、固い馬券が誰も買わずに放置されていることを確認しなければならないのだが、WIN5は投票数が公開されていないから、偶然に身をゆだねるしかない。オッズが見えなければ、有力馬・人気馬に買いが集中することは自明である。

では、ランダムなり大穴狙いなどであれば? 2億円の上限があるので、キャリーオーバー中でもあまりうれしくない。結局、中穴くらいが一番おいしい馬券となる。さて、中穴を当てるとなれば、3連単なら60点くらいは買えば狙って当てられるだろう。前述のようにWIN5なら、60*385*100=2,310,000円くらい馬券を買えば狙ってあてられるが、これはさすがに厳しい金額だ。結果として、必要な点数を購入できず、偶然に身をゆだねるような買い方になってしまう。偶然に身を任せれば、控除率を超えられないのだ。(超えたとしても偶然に過ぎない)。

私の馬券構築理論においては、予想とそのコンテキストによって馬券種別が決定される。WIN5を買うべき予想コンテキストも存在するが、しかし予想に基づいてWIN5の馬券を買うとなれば、1日で200万円くらい馬券を買わなければならないから、そんなコンテキストを考案する必要性を感じない。

だが、馬券を200万円くらいを買えるにとっては、かなりお得な馬券であることは申し添えておく。僕はそんなに買わないし、5レースも予想している時間がない(1レースでも1週間で予想するのは大変なのに)。

WIN5を買う集団には素人の割合が多いはずで、素人は予想なんてしていない。勝ちやすいはず。」

こんな風に思っている人もいるだろう。しかし、自身も十分なお金を投資しなければ、その素人と大差ない予想に留まってしまうし、オッズや妙味を考えない素人同様に、自分もオッズを見られないような制約のある馬券である。WIN5は、射幸心をあおるだけの、とてもつまらない馬券だ。

適性と作戦はヒューリスティック

競馬のように予測困難でありながら単なる偶然でもないゲームは、ギャンブルとしてとても面白くできている。麻雀や競馬、あるいは投機的な株式取引などが代表例だろう。逆に、全く偶然性にしか頼らない宝くじや、逆に偶然性を排除した将棋や囲碁といったゲームは、ギャンブルとして熱狂する人は居ない。破産するほど宝くじを買う人間はいないが、破滅するまで麻雀や競馬をやる人はいる。

麻雀は、ある種の法則性や確率にのっとった結果が得られることがわかる。麻雀であれば捨て牌などの状況から最善と思われる一手を選択できるが、あくまで確率である。素人との一局のみの短期決戦では「まさかの敗戦」もありえる。よって、麻雀が好きな人は、その確率を高めるために徹夜で何回もプレーしたがる傾向にある。確率的な正しさは、試行回数が十分に確保されてこそ生きる。長い時間を費やすからこそ身を滅ぼすわけだ。

競馬にも同じことが言える。確率的に最善と思われる買い方を繰り返し試行すると、テラ銭を上回らない限り、そもそも競馬なんかやらない方が金銭的には得、ということになる。競馬において、試行回数を増やすのは愚行である。

私も含めて多くの馬券好きは、経験則に基づく直感で予想をしている。これをヒューリスティック(heuristic;発見的・経験則的)という。いろいろと理屈を並べようとも、結局は不確実であり、データとして利用できるごく一部のパラメータのみを、それぞれの相関も気にせずに独立に扱って、予想をしている。競馬予想ソフトたちも、そのロジックを見ればほとんどがヒューリスティックである。

ヒューリスティックであることは、人間の本能ともいえる。そもそもギャンブルは大衆受けしなければならないから、難しい論理性や数学や統計学を駆使しなければ勝てないようなものではないのだ。競馬で勝ちたいなら、「馬券好きの大多数はヒューリスティックである」という事実を理解しておく必要がある。

例えば特定のレースで「4歳馬は苦戦」「牝馬は苦戦」などと傾向が示されるが、そこには論理的な根拠は皆無である。ルーレットでたまたま「黒黒黒黒白黒黒黒黒黒」と出たからといって、黒が強いというわけではないように、論理的な根拠さえあればデータは無視することができる。競馬のようなパリミューチュエル方式ならば、4歳牝馬で能力が通用する馬がいれば大もうけのチャンスかもしれない。

しかし一方で、騎手や陣営もまた、競馬に対してヒューリスティックに向き合っている。「うちの馬は4歳牝馬だから、とても通用しないだろう」とあきらめて、仕上げを手控えたり、能力を出し切れない作戦を選択したり、ということもありえる。

競馬予想で、その他大勢と同じようなヒューリスティックな予想をしていては、テラ銭を上回って勝つのは難しいだろう。しかし一方で、騎手や調教師がヒューリスティックに行動するのだから、あまりに決定論的(デターミニスティック:deterministic)に考えれば、実際に起こっているレースの現象からかけ離れてしまう。決定論的な予想は、読んでいてもつまらないし、一般受けしない。しかし、競馬で勝つということを第一に考えた場合、決定論的なメソッドは必要不可欠だ。

私の考えとしては、
・予想は決定論的な部分とヒューリスティックな部分があるが、
・馬券は決定論的につくる、
というのが、いいのではないかなと思っている。

決定論的に考えやすいのは、「状態」や「走力」についてである。状態に分類されるのは、遺伝や走法や馬体などであるが、これらは具体的であり個体として独立している。これらは生物学的にも物理学的にも「こういう走り方なら速く走れる」などと論証できるだろう。あるいは走破時計や着差を通じて走力を測定することができる。

状態と走力だけで競馬が予想できないのは自明である。例えばペース適性については、スローペースになるかハイペースになるかは決定できないため、どのようなペース適性の持ち主であるかを判別できたとしても、どのようなペースになるかを予想するのはかなり困難である。せいぜい決め打つことくらいしかできない。また、騎手の作戦を予想するのはさらに困難であり、人の頭の中などわかるわけがない。これらの「適性」や「作戦」については、ヒューリスティックに考えるしかないのだ。

私としては、決定論的に馬の状態や走力を計りつつ、適性や作戦についてはヒューリスティックな判断を下していくしかないと思う。展開(ペースや馬群の状況)がどうなるか、騎手がどう動くか、この2つは思いっきりヒューリスティックにいくしかない。「こんな感じのレースなら、あの騎手はこう動くはずだ」という直感。これがとても大事なのだ。

この直感を働かせるためには、いろいろと経験を積むことは大事だ。その中でも、大きなレースほど騎手の本性が表れる。外をまわすか内に突っ込むか、早く仕掛けるか遅く仕掛けるか。「この騎手はこう乗るだろう」という予想は、馬券を買うと「あいつならこう乗ってくれるだろう」になり、外れたら「あいつは何でこう乗らないんだ」となる。

G1で柴田が負けるとか、横山が2ゲットとかは、過去のデータを見た誰かが発見したことである。これもヒューリスティックである。騎手に関するヒューリスティックな直感は、なるべく採用した方がいいだろう。最近はどうだか知らないが、昔は特定の騎手が逃げると絶妙にスローペースになっていた。「有力騎手には競りかけないからじゃないか」とか、「あの騎手は怖いから恫喝してるんじゃないか」とか、適当なことを言われているが、これもヒューリスティックである。

ヒューリスティックというのは「まじめに考えてもどうせ正確な予想はできないから、経験則でほどほどに当てていこう」という考え方なので、ここに厳密さを求めても仕方ない。「横山が2ゲットするなら、どんなレースになるのかな」と考えてみるのもいい。

適性に応じて作戦を決めるのが本来なのだが、有力馬以外は正直言って読みきれない。ハイペースが得意な馬でも、着狙いでスローで逃げられるなら逃げようということは良くある。追い込み馬でもないくせに、後方をのんきに追走することもある。一度も逃げたことがないくせに、いきなり大逃げを打ったりもする。有力馬であっても、自分の馬とライバルの馬との力差を測って、相手のよさを消すような作戦を取る事もある。適性から因果関係的(論理的)に導かれる結論とは違うことがあり、これは受け入れなければならない。結果として「どうしてそんな作戦だったのか」と聞けば、それなりに納得できる理由があるものだ。もしかすると「いやー、うちの馬じゃ勝負にならないから、いつもお世話になっている○○先生の馬のラビットをやらせてもらいましたよ」ということがあったとして、驚くようなことではないだろう。

オッズと確率から期待値を考えるのはルーレットなら正しいが、競馬では「適性」「作戦」の部分でうまくいかない。騎手や調教師はどんなオッズだろうが見返りは一緒だから、オッズを見て馬券を買う側とは考え方が異なっている。私たちが「期待値的には正しい判断を騎手は下すべき」と言ったところで、聞いてはもらえない。

予想の精度を上げるためには、経験則から直感を得ることが重要だ。ヒューリスティックな部分を決め打ってしまうと、確率にしか頼ることができないし、その他大勢との差をつけることが難しい。おそらく注目すべきなのは、騎手の作戦である。どんな作戦を取っているかは、レースを観察することでデータベースをつくることができる。そこからヒューリスティックに発見される経験則こそが、予想の精度を格段に向上させる直感を生むと思うのである。